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Voice Of LIfe〜体験者からのメッセージ〜 |
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自分らしく生きたい
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16年前に母が乳がんで、全摘、腋下リンパ節郭清手術を受けたので、気をつけていました。そして2007年8月に自分で左胸のしこりを見つけました。触ると痛みもありました。
大きい病院では時間もかかるし、行くのも大変と思い子どもを出産した病院を受診しました。マンモ、エコー、細胞検査を受けました。エコーではやたらぐりぐりされて痛くて、歯を食いしばっていました。医者は「がんは痛みはないからこれはがんじゃないよ、一応検査はするけど結果は電話で問い合わせて」とあっさり。後日電話をすると「悪性じゃない」と言われ、私の心配のしすぎだったのか、でも何となく不安だったので「定期的に検査を受けた方が良いですか?」と聞くと「心配だったら半年後に」と言われました。
それから半年後、2008年2月に再度その病院に予約を取りました。でも、しこりは2つに増え、しかも痛みも強くなっていたので他の乳がんの専門のクリニックに変えました。このクリニックでエコーの検査時に、それまでは普通に話していた先生が「どこの病院で診てもらった?どんな検査をしたの?病名は?」と慌てた感じで聞き、すぐにマンモ、胸部のレントゲン、細胞検査をしたので、その雰囲気で「ああ、やっぱりがんなんだ」と思いました。そして結果は「悪性腫瘍」。この時、何となく「乳がんでは?」と思いつつも安易に病院を選び、しかも診断に不安を持ちながらも半年もそのままにしてしまった事を後悔しました。心のどこかで「がんじゃない」という診断にすがりつき、信じたかった。仕事が忙しいのを自分の言い訳にして、きちんと病院を選ばなかった。全て自己責任。悔やんでも悔やみきれません。そして母にこの事を話すと「お母さんが悪い。遺伝した、ごめんね」と言われ、そんなセリフを母に言わせた事が悲しかった。病気の原因を母のせいだとは思いませんでした。ただ、「私の何が悪かった?」「忙しかった?でも同じようにしている人もいるのにどうして私が?」「健康には気をつけていたのに、どうして私なの?」この問いかけがぐるぐる頭の中で回っていました。これは後になっても時々この問いかけが出てきて苦しくなります。
その後すぐに大学病院を紹介してもらい、また最初から検査を受ける事から始まりました。そして4月にセンチネルリンパ生検、温存手術を受けました。局所麻酔であっという間に手術は終わり、2泊3日で退院になりました。家に帰るとほっとして、着いた途端に「怖かったよ〜!」と主人に抱きついて子どものように大声でわんわん泣きました。入院中はずっと我慢していましたが、怖くてたまらなかったのです。温存手術跡は母の全摘の傷跡に見慣れていた私には「あぁ、この位で済んで良かった」と思える傷跡でした。そして手術から5日目には仕事に戻りました。これはやはり無謀でした。歩くと傷に響き、痛かったです。せめてあと1週間は休むべきだったと思いました。それでも、徐々に傷の痛みも落ち着き、すっかり元の生活に戻り、健康を取り戻したような気持ちでいました。
そして手術から1か月後の診察で、「リンパに転移している」「リンパ節郭清手術をしなければならない」「乳房の方も思ったよりがんの浸み出しが大きいようなのでここも手術をしなければならない」と言われました。全く予想していなかった事で信じられない思いでした。最初の告知の時よりもショックでした。「死」という言葉が頭をよぎり目の前が真っ暗になり、涙があふれていました。母のリンパ節郭清後、腕の痛みに苦しんだ事、痛々しい傷跡が思い出され、絶望に打ちひしがれました。
そして6月腋下リンパ節郭清、乳房全摘出手術を受けました。手術直後は腰が痛くてたまりませんでした。夜中なんとか体の向きを変えて痛みを逃そうとしましたが寝返りができないのです。翌日は一人では起き上がれません。頭は上がるのに、首から下が動きません。看護師に頼み、ベットを起こしてもらいやっとベットから出ました。ところが、一旦起きると今度は横になるのが大変で、痛くないようにとゆっくり様子を見ながら寝起きしていました。術後は腕が上がらず自分の顔を洗うのも痛かったです。パジャマの着替えも時間がかかりました。それでも人間の体はすごい。1日ごとに回復していくのが分かりました。昨日できなかったことが今日はできる。それがうれしくて励みになりました。退院は手術後1週間でした。
家に帰ってからも寝返りがうてないのが辛かったです。リハビリは病院では簡単な手引きをもらっただけで具体的に指導はなかったので、ネットで調べたり、自己流でしました。
抗がん剤はタキソテールとエンドキサンの2種類を4クール。吐き気はありましたが薬で抑える事ができました。口内炎も最初の時に出てひどい目にあったので、食べたら歯磨き、うがいも意識して行い、2クールからはできませんでした。
辛かったのは、とにかくだるさが半端じゃなく、ずっと寝ていました。起きていられなかったです。大好きなお風呂さえ入れないほどでした。あまりひどいので、3クールからは薬の量を減らしてもらいましたが、それでも辛かった。
ただずっとこの副作用が続くことはなく、抗がん剤投与後、10日後くらいからは普通に戻りました。この期間は動き回り、外出をしていました。髪は全部抜けてしまいましたが、夏の間は帽子に安い付け毛をつけ、仕事に復帰してからはかつらにしました。
仕事は抗がん剤が4クール終わり、ホルモン療法に入ったところ、10月下旬で復帰しました。仕事に復帰できた時はとにかくうれしかったです。ただ、疲れすぎないように気をつけています。
ホルモン療法はノルバデックスという薬を服用しています。6月に手術を受けてから4カ月間仕事を休み、治療に専念してきました。外科手術をしてがんを取り、体に散ったかもしれないがんの芽を抗がん剤で叩くといった、私の状態に合った治療だったと思います。抗がん剤治療は辛い時もありましたが、がんに対し、今できる可能なだけの治療をした。そう思います。
仕事を始め、今まで通りの生活を送っていますが、寒い季節に入り、傷口が痛みます。腕の痛みは術後から続いています。ホルモン剤の副作用で更年期症状が出たりと明らかに体は前と違っています。そして、再発や転移したらどうしようと心の中に不安が押し寄せてくる時もあります。でも、これからの人生を悔いの残らないように充実させ、自分らしく生きたい。家族のためにも。そのために健康には今まで以上に気を使い、免疫力を高めるためにできるだけ明るく、前向きに過ごそうと思います。
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ちゅうなま(2008.11.29) |
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