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乳がん体験者が自分で語る

乳がんと診断されるまでの状況
《全記述》

代表的な11人のかたの例は

※コメント最後の括弧内に記載されている年齢と西暦は、体験者の乳がん診断時です。

毎年乳がん検診を受けていましたが、それは産婦人科でした。知識が不足であったことが悔やまれます。乳腺外科を受診してください。そして不幸にも「がん」と診断されたとしても、出来る限りの情報を集め(患者のHPや様々なサイト等)、自分が納得するドクター・手術法・術後療法を選択されることを願います。
(37歳、1999年)

市の検診でしこりを見つけ病院で精密検査を受けた結果、乳がんだと言われたのですが、細胞診断が3だったため太針生検を受け、乳がんと診断されました。浸潤癌か非浸潤癌かは結局手術するまでわかりませんでした。
(37歳、2002年)

近くの総合病院の外科を受診。しこりがあると言い、すぐに生検をした。がんと診断され、セカンドオピニオンで見ていただいた専門医で治療をした。
(47歳、2001年)

しこりがあったのは気がついていましたが、痛みがないということで、病院には行きませんでした。しかしある日突然赤みをおびて、痛みがでてきたので病院に行ったら、詳しい検査の結果告知されました。
(20歳、2001年)

痛みを伴うかなり大きなしこりを自身で見つけ、なおかつ乳頭より分泌物を認める。3ヵ月後、乳腺外科のDrによって診察、検査を経て確定される。
(50歳、2000年)

職場の検診で2度ひっかかった。その時のコメントは曖昧なもので、検査を急ぐ必要性を感じなかった。身内に乳がん患者がでたので、自分も検査をしたところ、悪性とでた。職場の検診から2年以上経っている。
(42歳、1998年)

昨年6月、突然右胸に痛みが走りしこりに気づいて、外科で乳腺専門医がいる病院を受診して細胞診まで受けて乳腺症と診断されました。半年後の今年1月も同じ診断でした。ところが、6月の職場の婦人科健診で乳がん検診に当たった医師に1度病院に来て下さいと紹介状を書かれました。しこりも一回り大きくなっていて気にはなっていたので、7月にその病院で検診時の医師を受診し、エコーとマンモを受け、医療連携している別の病院の詳しい組織診にまわされ、その検査で乳がんと診断されました。
(46歳、2003年)

1996/10:左乳房の内上部に硬い部分があることに気付く。しこり、というより、なんとなく硬いかな?という程度で放置。1996/11:硬いものがある部分に、突然息もできないくらいの激痛が走る。数分で収まり、その後何ともなかったので、異常な痛みではあったが放置。1996/12:微熱とリンパ腺の腫れ(転移ではない)が続き、内科に通うが原因不明で、とりあえず体力増強のための漢方薬を服用。全体的に体力が落ちてきた。1997/1:職場の健康相談室の紹介で大学病院の専門医受診。視触診、マンモグラフィ、エコー、細胞診(マンモ以外は同じ医師が実施)施行。後日医師から電話があり、MRIを撮るよう指示があり施行。乳がん告知。(視触診の段階ですでに癌の疑いが強いと考えられた。マンモグラフィには映りにくかったが、MRIでは広がりがかなりきちんと見えたらしい。細胞診は引きにくく、初回は痛くて取り直しを拒否したためclassIV、後日再検してclassV)
(25歳、1997年)

1999年秋、しこりに気がつく→乳がんだとは考えもせず、本当にちらとも疑いもせず放置する。2000年夏、もう1度しこりに気がつく→今度はなぜか不安になる。最初は、カゼをひいたときにかかった近所の個人医院(内科中心)へ行く。(でも、このときは婦人科が専門だと思っていた。ただ、婦人科を受診したことがなかったので、恥ずかしくて内科にしてしまった) その先生が超音波を取り、一部浸潤しているところがあり、疑わしいので生検をしたほうがよいと言ったのが、最初にアヤシイと言われたきっかけです。もしこの先生が大丈夫、と言ったら確実に安心してさらに放置したことは間違いありません。たまたま、近所の先生に指摘してもらえたことが、本当に明暗を分けたのです。でも、私のケースは本当にたまたまですので、「乳腺は外科」ということを徹底させてほしいと思います。
(27歳、2000年)

授乳中しこりに気が付く。母乳マッサージを受けていたが、そこで「産婦人科で念のため見てもらって」と言われる。また、乳がん=産婦人科と思っていたので、最寄の産婦人科で受診。「もっと詳しく見てもらったほうが良い」と、血縁関係の産婦人科を紹介される。マンモ・MRI・細胞診を行い、手術日程などの説明がある。しかし、本人には乳がんだと明確に話したわけでもない。また、温存手術や同時再建などの手術方法は出来ないかとたずねると、一言「そんなものはダメだ」と話したり、セカンドオピニオンを申し出ると、「癌研を紹介する」と病院を指定してきたりと、あまりに患者側の納得のいく状況ではなかった。それと同時に、患者会に入会を申し込んだところ、積極的にセカンドを進められ(病院もそこで紹介してもらった)、セカンドを受ける。そこでは検査結果をもとに、治療候補をいくつか出してもらえたこと、また、希望であった温存手術が出来そうであったことなどで、その病院で治療をすることにする。
(29歳、2001年)

しこりではなく、乳頭からの異常分泌でうつ伏せに寝られない状態が続き、生活に不便さを感じている事を医師に伝えると「該当乳腺を切除すれば、分泌も止まりますし、今後出産・授乳にもなんら影響はありません。手術自体も日帰りで、形も変わらないし、傷も目立たない」との話。ただ、手術となるとここではなく 大学病院の方でないとできないので・・・とのことで、ここから大学病院の方へ移る。両方から分泌があったが、その時点で多かった左側だけ手術する。その切った部分を 念のため病理検査に出したところ、がんだった。
(29歳、2000年)

私の場合、胸のしこりは、のう胞ができていて水の溜まっている周囲の組織にしこりがあるという非常に珍しい乳がんでした。しこりの痛みもなく乳腺症かもしれないけれど、結婚する前に念のため調べてもらおうと、軽い気持ちで受診しました。最初の診察では触診、マンモグラフィ、超音波、のう胞の水を注射器で抜きました。抜いた水の成分について念のため検査をしておく旨を伝えられました。当時30歳で乳腺組織が充実していたため、マンモグラフィでは、しこりについて何も見えませんでした。触診の感じも乳がんでは無さそうだと言われました。一度目の超音波でも異常は見つかりませんでした。3日ほど経った頃に病院の医師より自宅に電話がかかってきました。前回抜いた水の成分を癌研の病院へ検査を依頼したところ乳がんであることが分かりましたので再度詳しく検査をしたいと思います。来院を促す電話でした。乳腺症と思って安心していたときだったので、ものすごくショックでした。でも再度病院で検査をしてきました。今回は超音波の写真をたくさん、いろんな角度から写していました。できあがった超音波の写真を見ながら告知を受けました。先生も最初の診察では、ほぼ乳腺症で間違いないと思っていたそうです。のう胞の水分の検査をしなければ乳がんであると、はっきり分からなかったそうです。乳腺組織が充実しているのでマンモグラフィでは全く分からなかったと言われました。髄様がんという特殊型の乳がんであると知らされました。予後はまあいいほうの癌だとも言われました。手術の詳細、今後の治療について詳しく丁寧に教えていただきました。乳がんのステージはI期からII期の中間と言われました。
(30歳、2000年)

26歳の頃からしこりに気付き、乳腺外科で検査(エコー、触診、マンモ)を受ける。乳腺症と診断される。以降、ほぼ毎年検査を受ける。30歳のとき、しこりが大きくなってきているのでしばらく様子(医師の判断)を見た後、3ヵ月後、エコーと細胞診を受けクラス3と出、生検。生検の前にセカンドオピニオンで、別の乳腺外科で診断(エコー・マンモ)の結果、マンモに石灰化が見え、99%がんと診断(告知)される。その後、最初の病院で生検を受け、浸潤がんであることがわかる。
(30歳、2001年)

ある夜、右胸にあった小豆が指にひっかかった。会社の近くの外科に行き総合病院に廻された。総合病院での初診日は、エコーとマンモ。エコーの技師は頻りに首をかしげ、マンモの技師は下手くそで私は痛さによる貧血で検査室で倒れた。初診日では診断がつかずMRI。それでも診断がつかず、細胞診と言われた時点で少々知恵をつけていた私は「あ、ダメだ・・・」と確信し検査を受けた。数日後、確信が確定された。
(30歳、2001年)

最初の病院では、レントゲンと超音波で、1ヶ月かかって出た結果が、悪性ではないが、しこりは取って方が良いのでは?と言われ、次の病院の細胞診で悪性との結果が出た。
(30歳、2001年)

仕事で徹夜明けの朝のシャワーで、右胸に、2センチくらいの「消しゴムのような硬さのもの」に触れました。痛みもなにもありませんし、体調もまったく普通と同じでしたが、あきらかに、その「しこり」は、普通ではないように思え、近所の総合病院へ。そこでは、視触診、細胞診までやりましたが、診断がつきませんでした。組織診を前に自分の体にメスが入ることが怖くなり、本屋で乳がんの本を買いあさって勉強し、今度は本の著者のドクターにSOSメールを出しました。すると「すぐに僕のところ来てください」と、電話がかかってきました。前の病院を断って、思い切って次の病院(乳腺外科)の、その著者のドクターのところへ。前の病院では、診断がなかなかつかなかったのに、今度は、触診だけで、「かわいそうだけど、君、がんだよ」と告げられ、その後、エコー、もう一度細胞診をして確定でした。☆マンモグラフィも受けましたが、乳腺が多くて、異常が映りませんでした。
(34歳、1999年)

左胸にしこりを見つけ、産婦人科を受診。外科を受診するように指導され、そこで触診、視診、エコー、マンモグラフィ、細胞診を受ける。
(47歳、2003年)

自分でしこりに気がつき、近くの外科で診察。そこにはマンモがないからと、大きい病院を紹介された。次の日、マンモグラフィとエコー・細胞診を受ける。しかし、エコーでは写ったがマンモには写らなかった。細胞診の結果は4日後にクラス5と判明。
(47歳、2003年)

断乳後1ヶ月に自分でしこりをみつけたが、おっぱいの残りだと思っていた。しばらく様子をみていたがどうも違うと思い、総合病院を受診。総合案内の看護師に症状を話して外科を受診するように言われた。
(32歳、2000年)

しこりが気になったので、告知の前年、現在かかっているのとは別の病院で視触診とエコーを受けたところ、「悪いものではない」とのことだった。その後しこりがどんどん大きくなり、俯せると圧痛があったため良性でも切除した方がいいかと思い、乳腺外科のある病院を探しているうちに、乳頭から血液の混じった分泌があった。家族に医療関係者がいるので話したところ、癌と思って間違いないとのことだったので、手術・その後の通院のことを考えて病院を決め、受診した。分泌物を顕微鏡で見てその場で悪性との診断だった。
(33歳、2002年)

しこりに気付いてから約半年は放置。しこりがかなリ大きくなり、婦人科検診を受けたのも、いい病院を紹介してもらいたかったからで、多分『乳がん』と自覚していた。紹介された病院で各種検査を受けたが、初診時に「多分、悪性」と、言われたのも覚悟していた。各種検査の全てで『乳がん』が確定された。
(53歳、1998年)

視診・触診 、超音波検査(エコー)、マンモグラフィ、MRI.CT、血液検査から1週間目に前記の結果を踏まえて組織診(生検)。24時間で組織診(生検)の結果が出る。
(54歳、2003年)

助産師さんから近所に出来たクリニックにマンモグラフィがあると聞き、すぐに検診をして頂けるというので受診しました。その場で視診触診の後、エコー、マンモを受け、しこりがあったため、細胞診もその日に受けました。1週間後クリニックの先生からすぐに結果を聞きに来て欲しいと連絡を頂き、細胞診の結果がクラスVであったことを告げられました。紹介状を書いて頂き、検査結果一式を貰いさらに大きな病院に。そこでの検査も同じ結果で、乳がんと診断されました。
(37歳、2001年)

市の検診で右乳房にしこりがあると診断されました。その場でマンモグラフィ、エコー、細胞診をしました。数日後MRI検査もしました。細胞診では良性の可能性が高いと言われましたが、MRIの結果、悪性の可能性が高いと言われ、なるべくすぐ入院するように言われました。でも、納得がいかず別の病院でも調べてもらいました。同じ検査をしました。しこりが散らばっていて良性悪性の判断がつかず、結局しこり自体をとって調べることになりました。そのときは傷が目立たないようにカメラを入れてとる手術をしました。その結果やはり癌(初期の癌)であると診断されました。しかし、癌細胞が広がろうとする癌なので、しこりだけを取り除いてもまた再発する可能性があると言われ、右乳房全摘出することになりました。
(31歳、2003年)

30代を過ぎて市の検診(産婦人科)で子宮がん検診と乳がん検診を受けました。たまたま、しこりを指摘され、外科を紹介されました。その後、紹介された外科医の態度が酷かったので、改めて乳腺専門医を探し、そこでの細胞診断の結果、乳がんと診断を受けました。
(34歳、2001年)

それまで癌検診を受けた事は無く、全く自覚がなかったが、区の健診で視診・触診した医師はその場で確信したらしく、すぐにしつこく病院での検査を勧められた。
(40歳、2002年)

乳がんと断定される更に3年前、自治体の癌検診で言われたのは、異形細胞があるので、大学病院での再検査でした。大学病院では、この異形が今後、癌化するかどうかはわからないが、増殖も減少もないので、定期的に検査をするよう言われ、3ヶ月ごと、6ヶ月ごとのエコー検査に数回行きました。その後、勝手に行かなくなり、1年の空白後、再検査にて見つかりました。
(43歳、2000年)

自分でしこりを発見し、病院で細胞診を受け、1週間後に結果を聞きに行ったら、「悪いものがみつかりました」と言われた。
(27歳、2001年)

しこりに気づき、生検にて一発診断。
(35歳、2002年)

近所の婦人科より大学病院を紹介され、そこで色々な検査を実施。結果が出るまでに数ヶ月かかった。その後、セカンドオピニオンで行った乳腺外科医は触診で、乳がんと分かり、最初から専門医に行けばよかったと感じた。
(35歳、2002年)

自分でシコリに気付き、実家の近くの病院へ紹介状を貰うために、自宅近くの産婦人科へ行きました。そこの先生が私が行きたいと思っている病院のもと勤務医だったと知っていたからです。そこで触診を受け乳腺の専門医に紹介状を書いていただきました。その後大きな病院でマンモグラフィとエコーの検査で、疑わしい病巣が有った為にその場で細胞診を受けましたが、癌は見つかりませんでした。主治医がマンモグラフィとエコーの画像を重視した為、次に組織診を受けました、それでも癌とは、断定できずに他の病理に検査を依頼、私の乳がんは見つかりました。結局初診から診断まで1ヶ月も掛かってしまいました。
(36歳、2002年)

自分でしこりを見つけ、病院に行った。妊娠中だったこともあり、最初は妊婦検診の時に、産婦人科に行って先生に相談した。乳がんは外科と教わり、その後外科へ。近くの総合病院で触診、エコー、細胞診を受けた。結果は、がんかどうか判断がつかないとのことで、生検を受けることにした。しかし、家族に相談したところ、親戚に外科医がいて、その人の紹介で、乳腺外科の先生を紹介してもらい、再び診察を受ける。診察は同じく、触診、エコー、細胞診でしたが、乳がん患者を数多く診ているその医師は、触診とエコーで、ほぼ乳がんと診断。翌日の細胞診の結果を持って、正式に乳がんと診断される。
(36歳、2001年)

しこりに気付いて近くの総合病院へ。その時、乳腺は外科だと教えてもらいました。一通りの検査を受け、細胞診でクラスII、経過観察となりました。7ヶ月後、再度病院を訪れたところ、しこりが大きくなっていたため、生検を勧められ、結果、乳がんの診断がくだされました。
(36歳、1998年)

1999年6月、市の検診を婦人科で受けた。婦人科の医師に分泌物があると指摘を受け、地域のがん検診センターに紹介される。検診センターでマンモ、エコー、細胞診を受けるが、乳腺症との診断。次は半年後と言われたが、分泌物が多くなり心配で10月受診するが細胞診(−)。2月まで我慢し、横柄だった担当医を別の医師に換えてもらい、乳房の一部分の張りが一時尋常ではなかったと訴え、蓄乳検査をする。3月癌告知受ける。
(47歳、2000年)

更年期障害が始まったので、気をつけなければと思い、触っていました。中々自覚できず思い切って区の健康診断にでかけて、そこで詳しく調べるように大きな病院を紹介してもらいました。
(52歳、2002年)

シコリを発見したのが昨年の3月、市の検査が5月、5月末に再検査が送られ迅速に検査を受けたが、細胞診では良性と出てしまったので、ひとまず安心していたが、主治医は癌だと思っていたらしく、即生検のオペをしてもらい7月に告知、それから乳がんで有名なDrに所見を頂き、サードオピニオンまで行い手術方法で一番納得できた病院にてオペをしてもらいました。
(39歳、2002年)

数年前からあった左胸の違和感。こわくてなかなか医者に行けなかった。去年、意を決して市の指定医療機関での触診で大丈夫と言われ、一安心。それまであった違和感も気にならなくなった(でも、確実に続いていた)。今年の同じ検診でも大丈夫と言われたが、ふとした好奇心からマンモをお願いした。別の医療機関(検診センター)で撮影して、また触診をしてくれた医者のところへ戻り見せたところ、両側微細石灰化がある、特に左に多いと。一応専門医を受診してねと言われ、自分で調べてたどり着いた専門医(今の主治医)のところで、石灰化は形からして問題ない、でも、こっちが気になるなぁ・・・と指摘されたのは白いスピキュラー。最初のマンモにはあまりうつっていなかったのに、その病院で再度受けたマンモにははっきりくっきりと。エコーにも何らかの所見があったようで、かなり左側には時間をかけて、サイズを測ったり写真にしたりしていたなぁ・・・と、合点が行った。すぐに細胞診で、1時間後には悪性度Vの診断が。この素晴らしい出会いがすべての始まりとなりました。今でもこの主治医は生涯ついてまわると決めています。
(46歳、2003年)

しこりに気付き、自治体の検診を利用して産婦人科を受診したが、その産婦人科でその日のうちに大学病院の専門医の紹介を受け、その日の内に予約を取り付けた。大学病院で初めの視触診ですでに脇へのリンパの腫れが触れたので、ほぼ間違いないでしょう、ということだった。エコー、マンモで午後には癌の告知を受けた。細胞診については、確認の意味で後日聞きにいった。
(46歳、2000年)

1、しこりに気がつき自治体の検診へ行く(当時授乳中、触診で乳腺症との診断) 2、2年後しこりが大きくなったので近所の外科受診。専門医の受診を勧められ、紹介状を出される。3、乳腺を見られる医師がいる病院を受診。各種検査後葉状腫瘍と診断。様子見。4、しこりがますます大きくなったので、切除希望。術中迅速細胞診断にてがん判明。
(34歳、1999年)

マンモグラフィの結果を見て、乳腺専門医は良性だと思いますが細胞診までしますか?と、私に聞きました。前もって本を読んでいたので、乳がんの検査には細胞診があるという事も知っていました。白黒つけるには、細胞診が良いと思ったので「やって下さい!」と即答していました。1週間後、病院へ行くと「すみません、悪いものが出ました。」と、告知されました。
(34歳、2001年)

自分でしこりに気づく→自治体の乳がん検診の際、しこりと痛みを自己申告。視触診で「異常所見あり(乳腺症の疑い)」・MMGで「異常所見無し」の結果、最終的に「異常なし」の診断。(視触診の際に会った医師、MMG診断後に会った医師は別人で、二人とも「大丈夫」だと言った)。→3ヶ月後、急速ににしこりが大きくなり、痛みも広がったものの、異常なしを信じて放置。(「二人もの医師が問題ないと言ったのだから」、と。)→検診から8ヶ月後、どうもやはり変だと思い、産婦人科に受診。→産婦人科医はさんざん悩んだ末、外科に紹介状を書いた。→外科医はちょっと触れただけで、すぐに乳腺外科に紹介状を書いた。→その乳腺外科では、初診から1ヶ月かかってようやく確定診断が下された。(いくつかの検査をそれぞれ別々の日に行い、結果的に非常に日数がかかったため。)
(34歳、2002年)

診断される1年前に自分でしこりに気づき、婦人科のクリニックからマンモグラフィを持った外科を紹介され受診。マンモには写らず、年齢からも良性の線維腺腫との診断。5mm以下のしこりだったため細胞診は難しかったようです。1年後、大きくなったので再び受診。今度もマンモには写らなかったが、細胞診で乳がんと診断。
(34歳、2002年)

1才になる息子の授乳中に左乳房に痛みを感じ、さわってみるとしこりがあるのに気付いた。その後もよく痛みがあったので、近所の産婦人科にて診察を受けたところ、しこりなので、紹介状を書くから、大きな病院で精密検査を受けてくださいと言われ、検査を受けたところ、乳がんであると診断された。
(35歳、2002年)

初診では、視診・触診、エコーをして、多分悪いものではないだろうけど、念のために3日後にもう一度来てもらって、性能の良いエコーで診てみましょうと言われる。そして、そのエコーの検査結果を聞きに行くと今度は、念のために針生検をしましょうと言われ、その検査結果を聞きにいったら、乳がんですと言われた。
(38歳、1999年)

30歳の時に乳腺症によるしこりを摘出した経験があり、普段から診断についての基礎知識はあったかもしれない。自分で発見したしこりのある部分が上部外側だったので、今回は腹をくくって診察をしてもらった。案の定、触診で主治医の顔色が変わったため、初診で覚悟が出来た。生検の結果は、駄目押し(?)くらいの感覚だったかもしれない。
(38歳、2000年)

自分で痼りに気がついて、近くの総合病院に行った。乳腺外科はなく整形外科での診察となった。外科の医師が触診して、その日のうちにエコーとマンモを行った。今思えば、医師は触診の段階で悪性だと判っていたと思う、が、細胞診と生検の結果が出るまで、私に悪性の可能性があるという事を一言も告げなかった。
(38歳、2002年)

しばらく仕事に追われていたので、あまり深く考える時間もなかった。まだ、この場になって、自分が乳がんだとも思わなかった。
(38歳、1998年)

それまでも、乳腺症とのうほうで定期検査してました、宣告される一年前に「おかしいのでマンモを受けたい」と医師に言ったが「エコーで何もないのだからと」一蹴されて、私自身も「そこまでいいのなら」と信じてしまった、、。その後もしこりはあり、結局それが急に一月で大きくなり病院へ「乳がん」との宣告。
(39歳、2001年)

しこりに気が付き、職場の近くの外科医院を受診。エコーでは確認しづらかったようだ。「しこりが硬いのが気になるけど、たぶん大丈夫でしょう。一応生検をしましょう」お盆休みが明けるのを待って、生検。仕事のお昼時間を利用して検査を行なった。一部の組織を採取するのかと思ったら、腫瘍を丸ごと摘出した(外来で)。しかも検査は30分くらいで終わる予定だったのが、思った以上に時間がかかった。途中麻酔を追加しながら1時間以上かかった。(あとで分かったのだが、しこりの位置とメスを入れた位置が若干ずれていたらしく、掘ったようになったらしい。) しこりを摘出したあと、医師が「しこりの断面を見れば良性か悪性かが分かる」と言いながら、私の目の前で腫瘍を縦半分にカット。その直後、医師は「あっ!!」というような表情をした。手術創部にはチューブがつけられ、出血を外のガーゼに吸収させるようになっていた。検査を終えて午後はそのまま仕事に戻り、帰宅する前にもう一度ガーゼ交換に行った。約1週間後、電話連絡ですぐに受診するように言われて受診。「あなたのはスキルスタイプのがんだ」と告知された。
(36歳、2003年)

自分でしこりに気付き、地元の外科病院へ。細胞診で3。白黒つかないので大学病院にて再び細胞診とマンモグラフィ。細胞診5、マンモグラフィにくっきりとがんが映し出される。乳がんと判明。
(36歳、2001年)

私のしこりは乳首の真下にあったため、3センチ以上になってもまったく気が付きませんでした。お風呂に入っているとき、偶然娘が胸にぶつからなければ、胸をさする事も無く、気が付くのはもっと先になっていたと思います。裸でいたこと、偶然にもしこりの位置にぶつかったこと・・これが不幸中の幸いでした。
(37歳、2001年)

診断のわずか10ヶ月前に、自主的な人間ドックにて触診しましたが、問題なし。しこりもなく当然、乳がんを疑うこともありませんでした。そのときマンモをしていたら、病変は見つかったかもしれません。しかし、30代で、症状もないのに、マンモはしないでしょう。それから、一気にもやもやとしたしこりが形成され、1年も経たずに、臓器と骨と、複数遠隔転移した状態で乳がんと診断されました。早期発見はどう考えても無理だったと感じます。
(37歳、2001年)

自治体で行われる無料検診を35歳から受けていました。がんと診断される半年前にも異常なしとのことでした。ある時お風呂あがりに鏡に映った乳房に異常を感じ、不安を抱いた私は図書館で本を読み漁り、乳がん治療の実績のある病院を選び受診しました。初診時に触診・マンモを行い、石灰化が見られたため二回目の受診時に細胞診をしました。その結果クラス5となり乳がんと告知をされました。
(37歳、1999年)

毎年、30歳を過ぎてからは市の検診に行っていました。子宮がん検診も同時に出来てしまう産婦人科(子供を出産した病院)を選んでいましたし、外科だと言う事すらも知りませんでした。自分でしこりに気がついた半年前にも、市の検診に行っていたのですが、触診のみだった。自分で異常に気がついてエコーや、マンモの検査を受け、特にマンモの画像を見ると、私の場合石灰化が乳房全体に出ていました。この頃色んな乳がん情報に敏感になっていたので、石灰化の初期の画像を見る機会もあり、私の場合かなり数年前から存在した事になるんだと分かりました。もし、毎年ではなくても、エコーやマンモの検査もあれば、そして自己検診をしなさいとアドバイスがあれば、もっと早くに見つかっただろと思います。
(37歳、1998年)

マンモグラフィは白、細胞診は白、エコーはグレーで3ヶ月毎の経過観察の提示を受けましたが、もしという不安から生検を選びました。
(38歳、1995年)

最初は、良性の線維腺腫と診断され、内心ホッとしていました。検査の結果も、しこり切除の時も、主治医は、良性であると確信しておりました。しかし、取った物を検査に回して、悪性の結果が出たことで、乳がんと言うことになってしまいました。そのとき主治医が、とても落ち込んでいらしたのが、印象的でした。最初の診断のまま、切除もしていなかったら、きっと今頃、もっと悪化させていたことでしょう。そこで見つけてもらえて感謝しております。
(38歳、1999年)

診断される1年ぐらい前から、体調は悪く、鬱気味でした。ほんとにある日突然、右胸に小さなドングリのようなしこりを発見しました。友達に乳がん体験者がいたこともあり、一刻も早く乳腺外科へ行くことを忠告されました。彼女は命の恩人です。
(38歳、2001年)

職場の健康診断の一環として乳がん検診を受けました。検診医は乳腺専門の医師で、触診してすぐにしこりを指摘され、その場でエコーも受けました。ドクターは触診でほぼ悪性と判断していたようです。その後の検査は、それを裏付けるために行ったようなものです。結局、検診医がそのまま主治医となりました。
(40歳、1999年)

乳頭から分泌物があったので、ちょうどその時予約が入っていた人間ドックで外科の触診を受けたら、その時は悪いものには見えないと言われたが、要検査の通知をもらった。後日、大学病院でマンモグラフィを撮って石灰化を発見、「たぶん非浸潤性乳がんでしょう。」と言われる。
(38歳、2002年)

すでに、大きなしこりを感じていましたので、自分のなかでは、がんであることを確信していたように思います。初診医は、マンモを見て、五分五分と言いましたが、私は間違いないなと思いました。細胞診をして、一週間後に、「悪い細胞がでました。乳がんです。」と、告知されました。私は、乳がん検診を受けたことは一度もなく、はじめから、受診して結果がわかったということになります。
(43歳、2000年)

自分で痛みのある小さなしこりに気づいて、1ヶ月ほど様子を見ていた所、しこりが大きくなったので、乳がんではないかと不安になって、外科にすぐ行くべきか迷いました。どこの病院に行くかもきめないといけないので、まずは、信頼しているかかりつけの婦人科医に相談に行きました。すると、すぐにエコーと細胞診の検査をしてくれて、数日後に乳がんということがわかりました。
(43歳、1999年)

外来での初診の時、触診、エコーで悪性の疑いが強いと細胞診を行う。1週間後に結果がクラス5で確定。以後、マンモグラフィ、CT、MRI、超音波検査を行い、状況を診断。
(43歳、2003年)

外科に行き頼りのない若いDrが診察し、触診・マンモ・エコーで黒と出ていたのだと思うが、細胞診ではIIIだった。そのため、3回も細胞診をし、結局3回目はベテランの乳腺外科医が細胞診をしたらクロだった。キチンと下調べをして医者を選んでいけば月日、費用と無駄にせずに済んだのに・・・と、一ヶ月の無駄を非常に後悔。
(43歳、2000年)

医師からはおそらく不安がらないようにとの配慮で「8割は大丈夫ですよ」と言われていたのですが、細胞診検査をした技師の方の様子が、とても慌てていて、きっと癌なんだということは想像がついてしまっていました(もしかすると勝手な思い込みかもしれませんが)。その頃は「がん=死」だと思っていたので、結果を聞きに行くまでは毎日、最悪の状況を想像し、とても不安で怖かった数日間でした。
(38歳、2000年)

しこりが気になっていた時、一番初めに行ったのは息子を生んだ産婦人科でした。触診と下敷きみたいのを当てての診察後“乳腺症でしょう・・”でした。そうか、って感じで一年経ちちょうど40歳にもなるしもう一度検査してもらおうと広報を見て近くの外科へ行きました。触診と実費になりますよというエコーの診察後、紹介状を貰い市民病院の乳腺外科を初めて受診しました。ここで細胞診までは判断がつかない状態でしこりも結構大きかったので、外来、部分麻酔でしこりを取り検査した結果悪いものでしたとの診断が下りました。
(39歳、1996年)

2001年12月職場の婦人科検診を受けた。しこりはあったが、乳腺症と言われ安心していた。しかしその後も身体のだるさなどの体調不良が続いた。しこりが大きくなっているのに気づき、2002年8月総合病院の外科を受診。触診、エコー、マンモグラフィで異常があり、細胞診を行う。3cm位の乳がん、リンパ節転移なし、と診断された。セカンドオピニオンを求めて行った癌専門病院では、上記の検査に加え生検も行い、8cm以上の乳がん、リンパ節にも転移していると診断された。結局ステージはIIIaだった。
(39歳、2002年)

自分で偶然しこりを見つけ、市の受診券でとりあえず産婦人科に行きエコーを受けたが、しこりはないと言われる。確かに自覚しているのにこの医者はダメだと思い総合病院の外科へ。一連の検査を受け、念のために細胞診。クラス2の判定で、乳腺症の診断。4ヵ月後、異常に拡大したしこりに不安を抱き、同じ総合病院外科へ。触診、写真診断では「急に大きくなっているし、形から見ても葉状腫瘍の可能性が最も高い」しかし、細胞診、生検の結果悪性。
(39歳、2003年)

自分で異常を感じ、外科を受診、即日乳がん告知。(マンモの画像で医師は乳がんを確信した感じがした)
(39歳、1998年)

しこりを見つけてから生検をするまで、水がたまっていると言うだけで血液検査、各種異常なしでした。あまりにも水が溜まるのが早いので、日帰りでしこりを取ったら病理で乳がんが見つかった。
(39歳、2002年)

年に1回の健康診断の中のひとつ、乳がん検診で当日すぐに紹介状をいただき、翌日大学病院へ行き、すべての検査を受けました。結果は1週間後の予約日に告知され、入院手続きをしました。あっという間でした。
(39歳、1999年)

私は20年前に左の胸にしこりを見つけ、婦人科にかかりました。三つの大学病院にかかり、1度しこりを取り、乳腺腫で良性と判断されました。その後20年間毎年、細胞検診を大学病院の乳腺外来で年1回。最近50代に入り、生理が不順になってからは、良性が悪くないこともあると思い半年に1度行っておりました。2年前に反対の右側が硬くなってきて、今まで見てもらってきた左よりも気になるようになりました。病院は4時間待ちはざらで、先生はマンモグラフィを取って細胞を調べても、大丈夫と言われ、ツムラの漢方薬を、やわらかくなるからと処方してくれていました。2003年5月、自分の左の胸の感じに危機感を覚え、病院に行きました。1回目の診断、細胞検診、これは良性。でも念のため、先生がもう1度今度は大きな注射器でたくさん細胞を取り検査しました。2週間後、がんの告知。でもこの時点でのインフォームドコンセントは「乳がんです。すぐにお腹に全身への転移を考えて、ブロック注射をします。それから、検査と入院の日を決めて、左の乳房を全摘出しますから、ご主人と1度、来院してください。」と言われました。ショックでしたが、この病院は信じられないという思いがとても強く、1週間後、地域の難病指定の病院にて再度見てもらいました。造影剤を投与してのCT検査の結果、結論は「乳がん、しかも大きすぎて手術不可能、即入院、5ヶ月間の抗がん剤投与により、癌を小さくしてから考えましょう。これが小さくなるかどうかは約束できません」との事でした。2日後、インターネットのホームページにて先生を紹介していただき、別の大学病院へ行きました。「非浸潤のきわめておとなしいたちのよい乳がん」と言われ、入院手術していただきました。セカンドオピニオンの必要性と、また病院選びの大切さを身をもって体験いたしました。最初に診断された病院の先生には、この旨のいきさつを詳しくお手紙にて報告して、インフォームドコンセントがうまく行かなくて患者が苦しんだ事などお話しました。カルテの開示などの要求の際も、私の癌がどのような物かはまったく報告がなく不安でした。先生は非浸潤癌と自分はわかっていて説明をちゃんと私にできなかたことを誤ってくださいました。私が自分の癌をしっかり受け入れられたのは3つ目の病院に行ってからでした。
(52歳、2003年)

毎年秋に人間ドックを受診しており、担当の医師は乳腺の超音波検査を得意としている方で、毎回オプションとして乳腺検診も受けていました。そのドックで右胸にしこりを発見。すぐに大学病院を紹介され、そこで精密検査を受けて乳がんと診断されました。
(40歳、2002年)

会社の健康診断で、触診およびエコーにより本人も気づかなかったくらい小さいしこりが発見されました。その後2ヶ月間様子を見、再度行ったエコーで90%良性のものと言われましたが、念のために行った細胞診で「IIIb」という結果がでました。更に生検を行い、初期の乳がんと診断されました。最初にしこりが発見されてから、様々な検査を経て乳がんと診断されるまで7ヶ月間かかりました。
(41歳、2003年)

人間ドックのエコー検査にて、右側しこり発覚。乳腺症か乳がんなので、至急乳腺専門医を受診するよう、紹介状をもらう。翌週専門医を受診、エコー検査にて左にもしこり発覚。マンモグラフィとるが、それには所見なし。両側とも細胞診(右は2回)となる。翌週右側クラス5で乳がん告知、左は再度細胞診(後から医師に聞くと、左もクラス5が出ていたが、触診でははっきりしたしこりを触れないため、もしかして右のが入れ違っていてはと再検査だったとのこと)、そして翌週左も乳がん告知。
(44歳、2000年)

15年前断乳のころ乳腺炎を起こし、その後大きなしこりが残る。そのころから婦人科検診は毎年必ず受診。超音波は毎年、マンモグラフィも2、3年に1度、細胞診も1度受けている。しこりはずっとあったので、自己検診ではわからなかった。職場の健康診断の視診、触診で超音波検査にまわされ、大学病院で精検(マンモグラフィ、細胞診)を受け、乳がんと診断された。
(44歳、2002年)

検診で見つかりました。検診を受けたのは「がん検診センター」です。2000年の健診ではエコー、マンモ、細胞診で「のう胞」と言われました。翌年の健診でも同じ検査をして右の「乳がん」と診断されました(前年にのう胞と言われた部位とは違うところ)。まずは左の乳頭下の明らかな乳がんが見つかりました。告知後、左の石灰化が怪しいので、念のためにと言われて左の細胞診をしたところ、乳がんが見つかりました。
(45歳、2001年)

初めに行った病院(個人病院、外科)では、触診だけで、「乳がんでない」との診断だったが、触診だけで決めるのが気になり、診断を受けるのにいい病院を知り合いの医療者に聞き、セカンドを取りに行った。そこで、触診、エコー、細胞診の結果、悪性と判明。
(39歳、1996年)

20代から左胸に違和感があり、30代に痛みで2度ほど検診を受け、乳腺症と診断されていました。マンモグラフィ、エコー、細胞診もしました。左胸にはいつもぼこぼこした塊がいくつかありました。ある日、いつもと少し違う感じの0.5〜0.8cmほどの小さな塊を見つけ、近くの総合病院を受診。Drの触診の後、私が「以前マンモをした時ものすごく痛かったので、エコー検査だけお願いします。」と言うと医師に「そんなんやったらせえへんほうがマシ!大丈夫、何もないと思うよ!」と、はき捨てるように言われました。その後1年ほどして、左胸に異変があったのですが、「大丈夫、何もないと思うよ!」と言う強い言葉が頭の中にこびり付いていたのと、仕事も忙しかった為10ヶ月ほど放置してしまいました。痛みもありどうしても様子がおかしので、また同じ病院を受診。エコー検査で乳がんの疑いがあると言われました。その時医師に、以前にも受診したことがあると告げると医師はカルテを見て「ほんまや、これ僕やな。あの時は何もなかったでぇ・・・」と、小声でおっしゃいました。その時私は、それ以上の事は何も言えませんでした。←今なら文句の100ほど言ってやる!!! 一応、細胞診もしましたが、結果を聞きに行ったら採取出来てなくて再採取。再採取は断り、そんな病院にはすぐ見切りをつけ別の病院で手術しました。結果はリンパ節転移のあるIIIbでした。2年前に見つけていただいてたら多分初期だったと思います。
(39歳、1998年)

プールで泳いだ後、シャワーをあびている時、胸のしこりに気付きました。その後なんとなく気になったので、近くの病院に行くと、その受付で 乳がんの診断は外科であるということを教えてもらえました。 その病院では、視触診とエコーと細胞診、次の病院(セカンドオピニオン)では、それらに加えマンモグラフィも行ってもらいました。
(39歳、2003年)

3か月ほど前から、乳房のしこりに気づいていましたが、月経の周期と仕事の都合などで外科受診まで時間がありました。自分でも「おそらくがんではないか」と思っていたので、確定診断をしてもらう意味で受診しました。最初に視触診、マンモグラフィ、エコー、細胞診まで全部行いました。マンモグラフィでは写っていませんでしたが、エコーの画像は明らかに充実性で不整形のものでしたので、自分でも判りました。最終的には、検査翌日に、電話で細胞診の結果を聞いて、確定しました。
(39歳、2000年)

10年くらい前から年一回職場で受診(触診のみ)、ずっと乳腺でしょうと言われていました。2001年末に一応先生のいる紹介先の病院で詳しく検査。しかし何の検査でもグレーでした。先生は、「経験からいってカンではかなり怪しい」とおっしゃったので、一年半検査通院を続けていた。その間MRI、マンモは数ヶ月に一度、エコーは何度も、細胞診5回、最後に太い針での生検でやっとクロの診断がついた(2003/7月)。病院での最初の検査から1年8ヶ月後のことでした。
(47歳、2003年)

私自身も集団検診で見落とされたケースです。もともと癌家系の私は30代になってから自分でも気にして、毎年必ず市の集団検診を受けていました。そんな中、自分で気付かないような微細な(米粒大)繊維腺腫を発見して貰った経緯もあり、集団検診を信頼していたのも事実でした。ところが結果的にその信頼は裏切られる形となって乳がんが発覚しました。その年も6月に集団検診を受けて『異常なし』と言う判定を貰っていたのです。(正確には左乳房の繊維腺腫の増大と痛みが気になって私の方から精査のお願いを言いだしましたので検診結果は『要精査』と言うことになっています。) そしてそれから2ヶ月も経たない8月、入浴中鏡に映した右乳房に2×2センチ大の腫瘤を自分自身の肉眼で発見することになります。それは素人目にもはっきり‘普通じゃない!’と分かるものでした。一般的に乳がんの進行は遅く、1センチの大きさに成長するのに10年かかるとされています。私のこの2センチ大の腫瘍がたった2ヶ月足らずで急成長したとは考えにくい状況です。だとしたら、どうしてあの検診で分からなかったのか・・・正直不信感がつのります。(ちなみにその時の担当医は地元で開業しておられる消化器外科医でした。) 一つ気がかりなのが、あのとき私の要請で‘要精査’となった後の乳がん発覚ですので、結果的には‘市の集団検診で早期発見されたケース’として上がっているのではないかという危惧です。(担当医は「心配要らないと思うけど気になるようなら」と渋々‘要精査’のハンコを押したのですが) あのとき曲がりなりにも‘要精査とされた繊維腺腫’(左乳房)と‘自分で発見した乳がん’(右乳房)は全く別物です。幸いにも術後6年、私は元気で暮らしています。癌は早期に発見しさえすれば治癒することを身をもって体験しているのは私自身です。ですので、友人知人にも早期発見の重要性を伝えたい。でも、こういう経緯から集団検診には信頼を持てないでいるのも否めない事実です。
(35歳、1997年)

家族に言うのが大変だった。
(41歳、1999年)

1999年春にしこりを発見、母親が乳がんだったこともあり、検診を受けようと思ったが、自治体の乳がん検診は9月で、それまで待っていられず、インターネットで「乳がん」を検索したのち、近隣の外科で初診。しこりは確認したもののその場にはそれ以上の設備はなく、大学病院を紹介される。大学病院では視診・触診・マンモグラフィ・エコーを受けたが、「乳腺症」と診断され、その後3ヶ月ごとの経過観察を約1年半続ける。しかし、どうもしこりが大きくなってきていること、時々痛むことなどを訴えて細胞診を希望、2001年9月、2度目の細胞診(1度目より太い針)でがん組織が見つかり、乳がんと診断される。
(40歳、2001年)

(1)'98年1月、産婦人科での子宮がん検診のついでに、以前からあった「しこり1cm」を診てもらう為に乳がん検診を受ける。最初は自分から「しこり」の有無を言わず、産婦人科医が触診。乳房を平手で丸く一度撫でて終了。案の定、「しこり」は見逃される。この時点で婦人科での乳がん検診に疑問符がついた。そこで「しこり」があることを改めて伝える。産婦人科医がもう一度丁寧に「しこり」のある場所を触診。医師が「しこり」を認識。この医師は、その後の対応が良かった。独自の自己診断に固執せず、「しこり」があるのなら自分は専門外なので乳腺外科のある病院を紹介すると説明。3つある病院から患者(私)が選択。(2)公立の総合病院外科を受診。乳腺専門医が触診後、「少ししこりが固い。」とのことでエコーをかける。(触診で大方診断していた。)エコー画像では擬陽性。マンモを至急でする。マンモ画像は全く写らず(乳腺の端で腋の下に近かったので挟めていなかったようだ。)。専門医が(エコーとマンモで確定診断がつかないも)細胞診をする。結果は2週間後の2月13日の金曜日。病理医の報告書からクラス5の診断。(3)(2)の病院での診断に納得できず、内緒で国立病院へセカンドオピニオンを取りに行く。著名な専門医に口頭で(2)の結果を説明し触診を受ける。触診のみで「先ず間違いないだろう。」とのこと。(2)の病院と医師名を聞かれたので伝えると、同じ大学の医局で仕事をしていた先輩後輩だった(笑)。結果的に(2)の医師は腕の良い医師だとわかり安心したので、通院しやすい(2)の病院へ戻ることを決心する。この時点で、自分の中での「乳がん」が確定した。
(40歳、1998年)

なにげなくブラジャーの下を掻いていてしこりに気付く。ネットで調べて外科が専門と知り(内科だと思っていた)土曜診察のある近所の外科へ。一瞬の触診で医師の顔色が変わり、すぐエコー・細胞診。検査結果が出るまではっきりとは言えないが、悪いもののようだ、と事実上の告知。一週間後クラス5の結果を知らされる。
(40歳、2003年)

産婦人科から大学病院を紹介されるがはっきりした診断は無く、6ヶ月の経過観察と言われる。だんだん大きくなってくるしこりに恐くなり他の病院でマンモ、エコー、念のため細胞診。即日乳がんであることを伝えられた。
(40歳、2002年)

私は、看護師で実のおばが5年前に乳がんと診断されてから、毎年職場の検診(触診)を受けていました。検診から1年たったある日、偶然に自分の左胸に2cmぐらいのしこりを感じました。すでに2期に入っていました。
(41歳、2003年)

4月に胸のしこり発見。時々気になりながらも、まさか自分がという気持ちで放っておいた。9月に大きくなったように思い、近所の外科を受診。触診だけで「良性でも手術」と一方的に言われたので、半ばノイローゼ的に4日間病院探しをした。(友達へ電話。ホームページを見る、など) わかりやすいHPの中の「病院を教えます」というところにメールを送り、病院と担当医の名前を教えてもらう。夫とすぐに確かめたら、確かにいい病院のようだったので、翌々日、1回目の受診に行く。最初は触診とマンモグラフィ。このときはのう胞で良性の可能性が高いと言われ、晴れ晴れとした気持ちだった。3日後、エコーと細胞診で、検査技師に「腫瘍らしきものがある」「良性でない物が混じっている」と言われて大体の覚悟はついた。と同時に自分のようなマンモグラフィでの画像の場合では、がん細胞が見つかるのは100分の2〜3の確率だと3日前には言われていたのにどうして又・・・なぜ・・・と言う気持ちもあった。10日後の結果まで長かったが、病院と主治医が決まらない最初の4日間の方が辛かったように思う。この頃から乳がんの勉強をどんどんしていったので、情報を知っているということがいかに不安を和らげるかを痛感した。結果を聞きに行く日は非常にリラックスしていた。乳がんの告知を受けたときもあまり驚かなかった。やっぱりそうだったかという気持ちだった。聞きたいことは全て聞いたので、納得のいく告知のされ方だったと思う。
(42歳、2003年)

硬いしこりがないタイプで、乳首の変形から気づいた。乳房のなかに、やわらかいぼわんとしたゴムボールのような部分が見つかった。触診では、よくわからないと言われた。マンモ、MRIでしかわからないタイプで、針生検では2回も白で、組織をとって初めて診断がついた。それも、こちらからどんどん、検査を希望してやっとわかった。硬いしこりにならないがんがあるとは知らなかった。ぱらぱらと散らばっていくスキルスタイプだった。乳がんは自分でわかるがんだと聞いていたので、それまで、時々は触診していたのだが、マンモを受けていれば早期発見できたのだと思う。5センチ以上になっていた。反対側も、マンモで石灰化が見つかって、組織をとったら、別のタイプの癌だった。これも、全くしこりがなかった。
(42歳、2000年)

わきの下に大きなしこりのある状態で婦人科を受診したが、異常なしといわれた。腑に落ちない表情をすると、「気になるのでしたら、この病院にいってください」といって、外科クリニックの地図を渡された。そこでマンモと触診、エコーの結果、わきのしたのしこりはリンパ節の腫脹と指摘されたが、しこりは映らなかった。その状態では「リンパ節炎」としか診断できないので、通常なら抗生物質を飲んで一週間様子を見て、変化があるかないかで判断するが、薬疹の経歴があることを伝えたので、一ヶ月なにもせずに様子をみることになった。結果的に大きくなっていたので総合病院の専門医に紹介された。マンモ、エコー、触診では胸のしこりは発見されなかったが、自分で「8ヶ月前にここにしこりを感じた」と伝えた場所と、わきのしたのしこりを細胞診すると、両方からがん細胞が出た。
(42歳、2000年)

しこりに気付き婦人科を受診した際、乳腺外科の紹介状を頂き受診しました。乳腺外科で触診をしてその日のうちにマンモの検査、3日後にエコーの検査をし、その4日後の結果では異常なし。念のためにと受けた細胞診で、がん細胞が検出されました。
(42歳、2002年)

最初におかしいと思ったのは下着にわずかな分泌物がついていたこと。それでさわってみると乳首のまわりが反対側とくらべて硬かった。よく聞くしこりと言う実感がなかったので乳がんなのか疑問だった。インターネットで検索し、外科で検査することがわかったので、近くで外科のある婦人科で状況を話したところ、エコーで1cmのしこりがあると言われた。その医師は「3ヶ月したらまた検査に来てください。悪性なら大きくなってくるでしょうから。その間、異常があったら来てみてください。」と積極的検査の勧めもなく、終わった。私は忙しさもあり1ヶ月放置した後、知人に相談したところ近くに乳腺外来のある病院を紹介され、20日後に予約が取れ、いきさつを説明したらすぐにレントゲン、マンモ検査をしてくれた。そこで2cmのしこりを確認。すぐに細胞診を行なった。1ヶ月後の結果では癌細胞がみつからなかったが、再度検査し、翌月、癌細胞が発見され数日後手術する。
(42歳、2000年)

しこりに気づいた翌日、地元の外科で自治体指定の検診病院へ。視診触診の後「良性だと思うが、一応、明日大学病院に行くように。検査はウチでやっても、向こうでやり直すことになるから、ウチではやらないよ。」 紹介状を貰い、翌日大学病院へ。視診・触診・エコー・マンモ「水が溜まっているし、良性だと思うが一応細胞診を・・・」 検査結果を見ながら「ちょっとあやふやな部分があるので、もう一度細胞診を・・・」(細胞診の前に2回とも水を抜きました。)「乳がんでした」
(42歳、1999年)

しこりに気づいて3ヶ月後に、乳腺外科のある大学病院にしこりの正体を見極めるために診察に行った。何科か判らなかったので、病院で聞いたら外科だと言われた。初診は消化器外科の医師だったが、エコー&マンモグラフィの検査結果の診断より、現在の主治医の乳腺外科の医師が担当した。細胞診はしたが、エコーとマンモの結果で乳がんと告知された。
(46歳、2001年)

私の場合は特殊なので参考にならないとは思いますが。急に乳房が腫れて、腫瘍が出現しました。それまでの自己検診ではまったく気づきませんでした。1週間も経たずに7×8センチまで膨張し、その胸で近くのクリニックを受診。クリニックの内科医師の紹介状を持って、総合病院を受診しました。問診票と視診触診だけで、乳がんと判断されたようで、エコーとエコー下コアニードルバイオプシー終了後、結果は家族と聞きに来るように言われました。マンモグラフィは撮るまでもなかったようで、結果を聞く前に造影CT検査の予約が入っていました。
(46歳、2002年)

しこりが乳首の所だったので、まさか・・・と、もしかしたら・・・の気持ちが、診察を受けるのを遅らせてしまいました。乳腺症だろうと周りの人にも言われたので、乳首が陥没して攣れた感じになってきたため、癌だろうと自覚して病院に行きました。マンモグラフィは痛かった(日本人には向いていない)。私が貧乳だったからかな? エコーで解るならマンモはしたくないです。
(46歳、2001年)

さぁ、寝ようか・・・と伸びをしたあとなにげなくふれた左乳房のしこり・・・もうその場で自分でがんだ!って確信しました。次の日すぐ外科へ行き、先生に「どうされました?」って聞かれ、返事をしようとした瞬間涙がとまらなくなって、診察に入るまでにずいぶん時間がかかったと思います。先生は黙って待ってくれました・・・そして、マンモ、エコーをしたところではっきりと告知・・・そのあと細胞診。見逃されるどころか、その場で即告知という状況でした。
(43歳、2002年)

しこりに気づき、近くの総合病院に行くが、良性と診断されたが、納得いかず、セカンドオピニオンをとった。そこで、視触診、マンモグラフィ、エコー、細胞診でやっと診断がつく。
(43歳、2003年)

乳腺専門の医師だったので、触診で、悪性の可能性が高いと言われた。すぐにマンモグラフィを撮るように言われ、翌日写真をもとに、この部分ががんですよ、散らばってるので、全摘しましょう、と、簡単な説明を受けて、入院と、手術の予約をして帰るように言われた。こちらのショックなんて、全く考慮されていません。
(43歳、2001年)

最初に行った病院で、細胞診までしましたが、はっきりせず、次の生理の後にまたきてくださいと言われ、そのようにしましたら、次はエコーだけで、これから、一月ごとに様子を見ていきます。と言われました。それで別の病院に行き、同じように針を突き刺しましたが判定はグレーで一月後にもう一度針生検。その際、1年後に来て下さい。と言われ、そのようにしてしまいました。そのあいだしこりが下を向いて寝ると痛かったのにほっておいたのです。針生検は、若い別の先生が担当していたので、いちまつの不安はありました。命中していないのではないかと。そして一年後の針生検で乳がんと断定されました。診断が一年遅れたのは明らかでしたが、その先生に手術してもらいました。
(43歳、2000年)

乳房に痛みを感じて乳腺専門医のいる外科を受診しました。(それまで一般的な健康診断は受けていましたが、乳がんの集団検診などは受けたことがありませんでした。) エコーでまず腫瘍であると診断を受け、つぎに確定するための細胞診を受けた後、告知に至りました。
(44歳、1999年)

或る日、入浴中に腕で胸をはさむ体勢になり、しこりに気が付いた。それから、1週間くらいしこりに触りながら、どこの病院に行けばいいのかな〜と考えていた。数日して、時間もできたので、病院へ行く。このとき、私はてっきり婦人科だと思い込んでいて、婦人科の問診表を手にする。しかし、おっぱいの項目は何もない。また受付に戻り「胸のしこりで受診したいのですが・・・」と言う。「それなら乳腺外科ですね。でも、今日は診察日でないのですが、他の外科のDrでもいいですか」と言われ、外科のDrなら診断くらいつくだろうという気持ちで、他の外科のDrの診察を受ける。そのときは反対の乳房にも同じようなしこりがあるので、異常ではないと思うとの診断でした。まぁ、念のため専門の乳腺外科で診てもらいますかねーと言われ、乳腺外科の診察日を予約する。このときの私は、異常なしということばに安心していた。だから、更なる安心をもらうために、乳腺外科を受診することにしたのですが・・・乳腺外科受診当日はマンモグラフィを撮ってから、診察室へ。触診、エコーをやり、良性、悪性診断が付かないからと細胞診を受ける。そして10日後にMRIを予約し、2週間後に家族と一緒に検査結果を聞きに来るようにと言われた。そのとき私が、「やっぱり乳がんですか?」と聞くとDrは「乳がん年齢だからね・・・」とことばを濁した。そして、やっぱり乳がん??献血していて、何も問題でないんだもの、何かの間違いでは??そんな繰り返しの2週間を過ごし、当日、夫とともに乳がんの告知を受けた。
(44歳、2001年)

市の検診で指定医のなかにあった産婦人科に毎年検診していましたが、いつも異常なく過ぎていました。ある時乳首がもりあがってきたのに気づき、乳がんかもしれないと思いました。それは、市の検診をしてからまだ4、5ヶ月しか経っていませんでした。気がついてからなかなか病院に行きづらくて2ヶ月たってから、毎年検診に行っていた産婦人科へ行きました。その時もまだ、無知な私は乳がんの検査は産婦人科でするものと思っていました。いつものように触診のみでしたが、この時ばかりは、乳腺外科専門の病院を紹介されました。そして、これからすぐに行ってくださいと言われその日に検査を受け、1週間後に乳がんと診断されました。
(44歳、1999年)

入浴中にしこりを発見。(実は10年以上前、脂肪の塊があった場所。当時は触診で大丈夫だろうとのことでした。以後時々気になって触っていました。) 今回のしこり発見まで、定期的な自己検診はしていませんでした。医師による検診も、受けたことがありませんでした。しこり発見から2日後、近所の外科(開業医)を受診。触診後、しこりを切除して細胞を調べようと言われた。次の日、同外科で局所麻酔によりしこり全切除。数日後、病理結果で悪性と判明し、公立病院を紹介された。
(44歳、2002年)

しこりを見つけて、まず一般外科を受診。マンモ・超音波・細胞診をするが、悪いものにみえなくもない(微妙な表現!)と言われ、そのまま様子を見るか、生検してもいいけど、どうしますかと言われた(どちらかというと様子みましょうという感じだった)。乳腺の専門の先生に診てもらいたいと思い、別の病院の乳腺外科を受診。超音波の後、生検を勧められ、その結果、がん告知される。
(36歳、2003年)

お風呂で胸を洗っている時に、偶然しこりが指に触れました。PCで調べたら、乳腺専門の外科だと分かったので、また、PCで探して主治医の病院にたどり着きました。触診では境界鮮明で、マンモグラフィでも異常所見は無し、念のためエコーと細胞診でクラス2。ただ、エコーの時に若干気になる画像だということ、細胞診の時に仕組み(しこり全部ががん細胞でないこと、ゆえに取る場所によって結果に違いがあること、乳がんの細胞の病理は難しいことなど)の説明を受けて、数%の可能性を消すために、1ヵ月後にもう一度来るように言われました。1ヵ月後受診した時、しこりが大きくなっており、再度細胞診の結果がクラス5。1・2回目の検体を合わせて、別の病理医で確認をしてもらい、確定診断となりました。ちなみに、この別の病理医の所見では、1回目もクラス5だったらしいです。(私の行っている病院では、検査結果からカルテまで、全部見せてくれるので、主治医からも聞きましたが、そのこともペーパーで確認しています)
(36歳、2000年)

産婦人科にて触診、エコー、細胞診を数回→乳腺症と診断される。1年ほどたって、皮膚の様子に異常が見られたので、総合病院の外科(乳腺担当)を受診。触診、エコー、マンモグラフィ、細胞診をするが、良性と診断。ただし経過観察つきであったので、3ヶ月に1度のペースでエコー、細胞診をする。その外科での4度目の細胞診で、おそらく癌であろうとの診断。(病理でははっきり陽性と診断されていなかった) なぜ、エコーやマンモ、数回にわたる細胞診で見つけてもらえなかったのかという不安から、別の乳腺外科にセカンドオピニオンをとる。生検実施→癌告知。
(36歳、2001年)

乳頭からの異常分泌(血液)に気付き受診。最初は職場の近くの産婦人科に行き、そこの紹介で乳腺外来を受診。さらにセカンドオピニオンを経て今日の乳腺外へ行き着いています。
(44歳、1998年)

私の場合、マンモグラフィでもエコー検査でも腫瘍は写っていませんでした。しかし、MRI検査ではっきりといくつもの腫瘍が映し出されていました。上記に記したようにMRI検査ではっきりと腫瘍が認められたため、それをうけてマンモトーム検査で、改めてがん細胞が検出されました。
(44歳、2002年)

入浴時に自分でしこり発見。翌日行きつけの産婦人科受診。この時点では乳がんは外科だという認識はなかった。とりあえず女性のことだから産婦人科に行けばいいだろうと考えた。触診後乳腺外科をすぐに紹介され、紹介状をもって乳腺外科受診。触診、エコー、マンモグラフィでおそらく乳がんであると診断、確定のため細胞診実施、翌週結果がクラスVと判明し、診断が確定した。その後、手術準備のため撮影したMRIとエコーで、その奥にもう1つ連なってあることが判明した。
(45歳、2003年)

診断される3年前からシコリには気付いていました。その時も、気になっていたのでかかりつけの開業医に診て貰ったところ「骨かな〜?」と言われただけで、その先の指示は何も無いまま終りました。私も自分ががんにかかるなんて事はないだろう、私に限って・・という感じでいましたので、少し安心はしたものの、それでも気になって総合病院の外科を受診しました。若い医師でしたが、触診と超音波の検査をして、今度もよく分からないというようで、やはりなんの診断も指示もなく、大きくなったらまた来るように――という感じで終ってしまいました。1センチ近くはあると思うのにどうして分からないんでしょうと思いつつも、私はがんと診断されなかった事に喜んで、それから3年間放っておきました。その後、シコリはだんだん大きくなって痛みも出てきましたので、新しくできた近所の病院を受診しました。たまたまその先生は、がんセンターからいらした先生で、乳がんについても詳しく、細胞診をしてすぐに乳がんと告知されました。その後大学病院で、今の主治医にお世話になることになりましたが、手術について、私が3年前から抱えていたシコリだけだったら温存も可能と言われましたが、もうひとつ乳頭の近くに小さいシコリがあったため全摘手術となりました。3年前、あの時だったら早期発見だったかもしれないーとか、シコリが一体何なのか、正体が分かるまで受診していたらーとか、受診した医師が分からないのならどうして他の病院を紹介してくれなかったのかーとか、悔やまれる事はたくさんありますが、どんなに考えても、責めても、もう取り返しがつくことではないので、今はなるべく考えたくないと思っています。現在再発治療中です。
(45歳、1997年)

あまりに健康を過信し、がんのことを知らなさ過ぎる私で、書くのも恥ずかしいですが、自分でしこりに気づき、義妹が元看護師なので相談し、産婦人科に行きまして検査を受けました。結果的には乳がん専門医の先生がいらしてよかったと思います。
(45歳、2003年)

自分で解るぐらい大きくなって病院へ行ったために、触診の段階で50パーセントの確率でがんと言われた。
(45歳、2002年)

入浴中にしこりに気づき、母が26年前に良性でかかったことのある癌研病院を紹介してもらい乳腺外科を訪れた。諸検査をした結果、その日のうちに悪性との診断がくだり、入院予約をして帰った。
(47歳、2002年)

精密検査を受けて、悪性です、と先生に言われたことです。細胞診が、クラス5です、と言われました。
(47歳、2002年)

何気なく触ってみた左の胸に2cmくらいのしこりを見つける。近所の総合病院に電話をして胸にしこりがある事を伝えると、外科で乳腺専門の外来日がある事を教えてくれる。触診、エコー、血液検査、マンモ、細胞診をするが、結果は白。ドクターは生検を薦めたが、もう一度細胞診をリクエストして運良く(?)ヒットし、告知に至る。しかし、病院自体に以前より不安があったので転院する。国立癌センターでセカンドオピニオンを得る。石灰化が進んでいるとの事。癌センターのドクターの所見に比べると私の癌を見つけてはくれたものの前出のドクターは未熟な感があり、いろいろと調べた結果、乳腺の専門医ではなかった事が判明。漠然とした不安感がセカンドオピニオンを得た事で自分の直感が当たったと思った。しかしながら癌センターのドクターは医師としてはベテランで優秀だったかもしれないが、人間性の部分で信頼できず、ネットでようやく納得のいくドクターに会うことができ、手術、入院生活ともに満足している。
(47歳、2001年)

6年前からしこりに気付き、市の乳がん検診や、産婦人科の検診の時についでに診てもらっていました。結果は、癌はもっと硬いだのと癌では無いとの診断。実際、産婦人科で癌のしこりの硬さの見本を触らせていただき、ホッと胸をなで下ろしました。そして、2年ぐらいして、ある日乳首から膿のような物が出て、また病院へ。その時の診断はお乳という事。たまにある事と言われてまた安心。そしてしこりに気付いて5年ほど経ってしこりは以前より縮小されている気持もあったが、大きなヒキツレが出来ていた。それでも、気になってはいたが、忙しさにゆえに病院になかなか行けなかった。それからまた1年ほど経過して、乳首の下に米粒大の物が新たに出来ていて、最終的に告知された。
(47歳、1999年)

視触診、エコーでたちがよくないと言われ、マンモグラフィ、細胞診の結果、確定された。
(51歳、2003年)

人間ドックの乳がん検診を受け、脇の下にしこりが見つかり、乳線症の疑いがあるので、外科を受診するように言われました。外科で、左胸のしこりも見つかり、エコー、マンモグラフィで影があり、細胞診でクラス4でした。
(44歳、2003年)

近所の病院で、細胞を取り1週間後の結果で乳がんと判明。その足で1番近い国立病院を紹介され(紹介状)すぐにその病院に行った。その際そこの医師から乳がんと診断された。
(47歳、1997年)

元来胃潰瘍の治療に総合病院の内科にかかっていたが、偶然左胸を掻いた時に、あれっ?(心臓がどきんとした)と思い、内科の主治医に申し出たところ、エコーを薦められ、エコーであやしいということで、はっきりさせるために、組織診をなした。結果は悪性であった。
(42歳、1999年)

検査から一週間後の外来で告知。検査結果の書類はすべて開示してもらった。
(42歳、2001年)

自分でしこりを発見し、近隣の産婦人科を受診。超音波検査後、即、がんセンターを紹介される。センターにて、視触診・マンモ・超音波の結果、乳がんと診断された。
(42歳、1999年)

過去に良性腫瘍ができた事があったので、定期的に病院で検診をしていた。
(45歳、2001年)

初めて受けた人間ドックの視触診とマンモグラフィでひっかかり、精密検査のエコーを受けた時悪性の可能性が極めて高いと言われました。しかし細胞診が3bだったため、生検の結果癌だと確定したのは入院前日でした。3bなのに手術をすることに納得できなかったので癌専門病院でセカンドオピニオンをとりましたが、そこでも99%癌だと言われたので納得して手術を受けました。
(46歳、2002年)

マンモグラフィなどではわからなかったが、細胞診でクラス3と出たので、生検(日帰り局所麻酔での手術)をしました。これで、悪性ということが断定されました。
(38歳、2000年)

退職後、スポーツジムに通うため、専用のアンダーウエアを購入することになり、バストサイズを確認したときに、しこりが指に当たった。とてもいやな感触だったので夫に相談し、2日後受診。最初は自宅近くの病院に向かっていたが、何かしら予感が働いたのか専門科のある聖マリアンナ医科大学病院に向かっていた。触診で、しこりを確認後、マンモグラフィ、レントゲン撮影後、担当医よりしこりが「とても気になる形」をしているのと、マンモグラフィで石灰化が確認されため、細胞診を勧められ、応じる。その時に乳がんとは言われなかったが、その疑いがあると言われる。1週間後、結果は擬陽性(クラスIV)。再度、太目の針で細胞診を受ける。1週間後、結果は陽性(クラスV)。乳がんと診断される。
(41歳、2003年)

以前から乳腺症と言われていたので、しこりがあっても気にしていなかったが、痛みがあるような気がして、触ってみると以前より大きくなっているようだったので、健康診断の折りにその旨を話したところ、気になるならこのまま診療という形で検査してみることにしましょう、と、マンモとエコー、細胞診をやってくださった。その結果癌が見つかった。そのあと、セカンドオピニオンを求めて転院したが、結果はやはり癌だったため、治療を行った。
(41歳、2003年)

健保組合の家族ドックで何気なく受けた検診で、乳がん検査の項目があった。触診(女医さん)によって、しこりを指摘、再検査でマンモ(石灰化)、エコー(写らず)(いずれもデジタル)検診センターに付属の総合病院乳腺専門医に紹介状をもらう。そこで、再び視触診ののちその場で穿刺細胞診。一週間後クラス5の結果が出て、センターはデジタルなので再度エコー(確認)、マンモ(写らず)。
(36歳、2001年)

会社の人間ドックを受診して、一週間後に健保から招待状が届き、2〜3日後に専門のお医者さんがいる大学病院に行き、当日に乳がんであることを知りました。告知を受けた瞬間は、頭の中が真っ白になり、血の気がひく感じがしましたけど、案外、冷静に主治医の話を聞くことが出来、自分でもびっくりしました。
(36歳、2002年)

1995年頃しこりに気付き外科を受診、マンモは無く、触診、エコーと乳房をテーブルに乗せてのX線撮影、線維腺腫と診断。半年後に又来てと言われたが、良性なので安心しそのまま放置。5年後、主人の会社の人間ドックを受診、専門機関での精密検査を受診の旨の電話と紹介状が届きネットで病院検索、近くの乳腺外科に行く。穿刺吸引細胞診を1度目の結果ではっきり診断がつかなかった為2度やる。クラスVと出て確定。最初の病院での誤診かと疑い主治医に言うと、その時から乳がんだと5年経過してたらもっと大きくなっているはず、線維腺腫から乳がんになるのも有るが、とてもまれで、線維腺腫は吸収され新たに乳がんが出来たのではないかとの事。
(35歳、2000年)

4月頃から乳首から赤い分泌物が続いていた。当時は知識がなく気にもしなかった。7月に激痛が始まり地元の診療所から乳腺外科を紹介され、原因は未確定だが乳腺を一房取る手術を受けた。取り出した組織からがん細胞が見つかって確定した。
(31歳、1995年)

26歳の時右乳房が腫れている気がして区役所の健康診断を受診、乳腺症だろうと言われ、その後気にならなくなったため放置。32歳夏に恋人にしこりを指摘され、産婦人科に受診、乳腺症と言われ様子をみるが、2か月後しこりが消えないので乳腺外科へいき、局所進行乳がんを告知される。6か月に渡る術前化療後、腫瘍の縮小を見ず全摘。現在皮膚転移治療中。ステージ4で炎症性乳がんの診断を受けている。
(32歳、2002年)

生理前後に、やけに乳腺が張って痛みがあったので、自分で胸を触ってみたら、しこりを発見。しかも、そのしこり部分にくぼみを確認し、もしやと思い、近くの総合病院の外科で乳がん検診を受け、その日にエコーのオーダーが入る。エコーの日に腫瘍の疑いが高いと言われ細胞診を受ける。その結果クラスVの病理結果を受け、乳がんと診断される。
(32歳、2003年)

乳腺外科に行き、診察前にマンモ実施、診察では触診、エコーで少し疑いがあると診断され、細胞診を行い2週間後、クラス5と診断されました。完璧な内容だと思っています。
(32歳、2003年)

左乳房にしこりを発見したが、気になりつつ職場の健康診断まで放置。要精密検査の結果(検診を申し込んでから結果が返ってくるまで半年近くかかった。)を受け、近所の婦人科専門医院に問い合わせると、「うちで診ます。」という回答があり受診。様子見と言われたが、病院を紹介して欲しいと頼む。紹介状は出せないということだったが2件ほど病院名を教えてくれる。そのうちの1軒の病院に行ったが、細胞診の結果3b、即手術入院の予約をするように言われる。エコーとマンモの検査を頼んだが「細胞診で出てるんだから切ればいいのよ。」との返答。書籍やネットで病院を探し、今の病院を受診。結局左乳房ではなく、右側に癌細胞が見つかる。左は術中生検により良性と診断される。(浸潤癌で温存手術ということで手術を受けたが、術中乳腺全摘に変更。病理の結果非浸潤癌。)
(36歳、1998年)

心の中では「きっと・・・」と思っており、どうしようもない不安と闘う日々がありました。最初の診断は市内の総合病院で、触診で引っかかりその場で穿刺吸引細胞診を受け、1週間後に告知でした。
(38歳、2000年)

職場で実施している検診時に、以前よりあったしこりを相談したら、その先生から専門外来へ行くようにとの指示を受けた。後日の専門外来での検査(エコー)時に、その場で先生から乳がんと診断された。
(41歳、2002年)

産後9ヶ月頃、しこりに気付いたが、乳腺炎の後かななんて放って置いた。仕事に復帰したところと、子育てしながらなので気になりながらも時は過ぎ一年経ちました。ある時、ふと大きくなっているように思い急いで、病院に受診、IIIa期で3個リンパ節が腫れていると言われた。一年前に来ていたらと先生にとても残念そうに言われた事が心に残っています。
(33歳、2001年)

コリコリしたものは、筋肉だと思っていました。自己検診の方法について詳しく知らず、ぎゅっと握ってハイオーケーと、診断の3ヶ月前もそう思っていました。脇の下のリンパの変化にも気付きませんでした。
(47歳、2003年)

しこりに気づいて受診。血液、エコー、マンモで異常なしだったが、触診の感じ(ごりごりしたざらつきがあった)で心配だったので(医師も私も)、針で細胞診した結果、クラスVだった。その後、転院し、新しい病院の機械でマンモを取り直した結果、マンモ上でもがんが確認され、さらに石灰化も確認された。結果、はじめの病院ではマンモ検査が正常に機能していなかったことがわかった。
(28歳、2001年)

自分でしこりをみつける→婦人科→外科紹介を受ける、針生検の結果乳がんと診断。
(28歳、1993年)

自分で、まずはいろんな専門書、医学書を読んでから、手術を覚悟の上で綺麗に切っていただけて、自宅から近い病院を捜した。
(48歳、2003年)

初診で乳がんで全摘と診断でした。わたしもしかたがないかな。と思いました。ふと気がついた時は大きかったのです。なんか、突然しこりになった感じでした。
(48歳、2000年)

1996年8月頃から右乳房のしこりに気がついた。しかし、20年ぐらい前、左乳房の良性の繊維腺腫摘出をしていたので、今回もそうかもしれないと、様子をみることにした。2ヶ月後には、しこりが痛むようになった。日増しに痛みが強くなったので、乳がんを疑って、10月はじめ、専門医の受診を決意した。乳腺外来のあるがん専門病院に行き、検査の結果、がんが確定された。
(48歳、1996年)

乳頭より出血があり、ネットで調べてがんに間違いないと確信して病院に行ったが、触診にてがんですねと聞いたら否定しなかった。細胞診では確認できなかったが、他の検査結果から、がんと診断された。
(50歳、2002年)

しこりを見つけ、あれ?!って、思い、友人のかかっていた乳腺クリニックへ。受診のその日に、多分、乳がんと言われ、迷わず細かい検査を受け、1ヵ月後に入院手術でした。兄達5人のうち、4人ががんなので、やっぱり!って、思いました。兄二人が50代で他界してるので、自分はそうなりたくない強い思いで、主治医を信頼し、全摘出に踏み切りました。
(51歳、2001年)

2002年10月頃から、しこりに気づきました。20年程前から、水が溜まり2度注射で水を抜いてもらう事があり、今回も同じ場所で、またかなと楽観していました。暮ぐらいから痛みがあり、硬くなって、しこりが大きくなってきたので流石にいつもと違うかなと、不安を感じました。それでも、病院へ行ったのは2月に入ってからでした。触診・エコー・細胞診・を受け、2月19日告知です。
(52歳、2003年)

母が2年前に乳がん発病、娘にも乳がんになる確率が高いとDrに言われた。自分は病気とは無縁と思っていた。軽い気持ちで検査に行ってわかった。
(41歳、1997年)

自分で触診でしこりに気がつき、受診した。一連の検査の結果判明。
(52歳、2003年)

乳房のしこりを感じ受診をしたら、エコーで腋の下にもしこりがあることを告げられる。細胞診はしたが、その時点で医師からは「ここまで大きいととらなくてはいけませんね」と言われた。細胞診の結果は後日わかると言われ、聞きに行ったが「悪いものが出た」と言われ、これが「乳がんの診断」がおりたときと認識している。
(48歳、2001年)

会社の乳がん検診を毎年受診していて、2月に自分でしこりに気づく前年の10月にも異常なしだった。その7年前には「要精検」でエコーとマンモグラフィにより、水は溜まっているが良性だと言われ、毎年検診しているから大丈夫と思っていたのが間違いで、III期にもなってしまった。自分で見つけて外科に行ってからは、1日で触診、エコー、CT、細胞診をしてくれ、1週間後には乳がんと診断され、乳腺外科医を紹介してもらったし、乳腺外科医も1週間後には手術を決めてくれるという対応の早さだった。
(49歳、2002年)

しこりに気づいて、まず、かかりつけの医院に相談に行きました。触診をして後、大丈夫だと思うけれど、大きい病院を紹介しますと先生に言われ、現在の病院を紹介してもらいました。子どもが小さかったので、自分の行ける時間帯に病院に行きました。乳腺外来の有無など調べる余裕はありませんでした。その病院で検査をしてもらい、結果的には生検で乳がんであることがわかりました。セカンドオピニオンを取ろうと思う余裕が出たときは、早や、生検で患部を取った後で、取れないと思い行きませんでした。
(49歳、2003年)

しこりに気づいていたが、診察を受けるのに約半年かかる理由は、家族の引っ越し等で忙しかった事、食生活は野菜が多くて、キノコ類も大好きな事、触ってみて少し痛い事、生理の前になるとなんか腫れてるように感じた事、母乳で二人の子供を育てたこと、ペチャパイな事等でした。何と言っても自覚症状がしこりだけなので、毎日の生活には全く差し障りがないことで、自分で診断をしてしまいました!これは単なる乳腺症だと・・・そのうち小さくなると・・・しかし体調を崩し日曜日に寝ているときに、やはり気になりました。時間的に少し余裕が出てきたときに、思い切ってインターネットで乳がんを検索して、調べました。(とても入力には勇気がいりました!今はバンバン検索していますが・・・) そして、乳腺外来で、女医さんの病院が近くにあり、受診しました。触診、エコー、マンモ、細胞診。1週間後に細胞診の結果がクラス4で癌告知、マンモには写っていなくて、エコーでは確認されました。そこでは入院の設備がないので、紹介状と検査してもらったエコーのコピーとレントゲンを貸し出して貰いました。以前に聞いたことを思い出し、友達の知り合いに5年前乳がんの手術をした方を紹介してもらい、すぐに連絡を取りました。そして、その方がかかった病院へ。そこでもエコー、マンモ、触診で、癌と告知されました。最初の病院ではマンモがとても痛くって涙が出ました。黒い冷たい感じの機器でしたが、二回目の病院は機器がやわらかいクリーム色で、挟む板もプラスチックで雲泥の差でした。
(49歳、2003年)

唯一自分で見つけられるがんだと言われてたので気をつけていたが、ある日突然左側にしこりを見つけた。それはコリコリと動くものだったため、自分でも良性だと思い、けっこうのん気にかまえていて、婦人科にかかった。(乳腺外科のある病院がわからなかったため) そこで細胞診で異常がなかったので、半年ほどしてから30分くらいの手術で(今思えば、あれが生検なのかも)そのしこりを取ってもらい、病理でも悪性じゃないとの判断がつき、安心していた。その頃引越しで隣の市に移ったら早速、市の検診のお知らせが来たので、軽い気持ちで受けたところ、触診で右側に異常ありと言われた。自分で触ってもわからなかったので、病院に行かなければと思っていた矢先に、ブラに血がついており、びっくりして検診のときに診てくれた医師のいる病院に行った。超音波、マンモグラフィ、細胞診とすべての検査をした上でがんと診断された。
(33歳、2000年)

市の定期検診で触診の瞬間に、紹介状を書くからと言われた。専門医には一発だったようです。
(33歳、1999年)

しこりに気づいてからすぐに直近の健診日に市の健診へ行き、触診、エコーを経てその場で「病院で診てもらった方がいい」と言われたので、すぐに隣接する総合病院の外科を受診。エコー、触診の後、針を刺して細胞を取る検査(ABC検査)をして帰宅。翌日結果を聞きに行き、告知されました。
(36歳、2001年)

しこりを見つけて病院に行ったが、初診での視診、触診、エコーで、「問題ない」との先生の言葉をもらいに行くくらいの軽い気持ちで行ったのに、再検査(マンモグラフィ)が必要と言われ、それも次のマンモグラフィの検査日に来て欲しいと急がされたので、暗い気持ちで次の検査を待つことに。マンモグラフィの検査の日、いろいろな角度から撮るとのことでマンモグラフィを8枚も撮られたこと、できあがった画像とエコーを見て細胞診をすることになったこと、触診での先生の反応から、もしかして・・・と覚悟を決めた。細胞診の結果が出る2日後が待てず、先生のそのときの見解を聞かせてもらったところ、細胞診の結果待ちだが今のところ悪性と考えているとの返答をもらった。なので細胞診の結果を聞きに言った日に乳がんと告知されたわけだが、その言葉をもらいに行ったようなものだった。初診からたった4日間、人生がひっくり返ったような気持ちになった。
(30歳、2002年)

毎年職場の乳がん検診は受けていました。2年前はエコーもやったけれど、見つかったのは5センチと大きかった。でも見つかった時期も選んだ医者も、偶然とはいえ運命だと思う。幸い転移していなかったからこう言えるのかもしれないが。あの時見つけ、医者を探し、患者団体に紹介していただいた専門医の治療で満足している。
(47歳、2001年)

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